書とデザイン

保育園から通った習字教室

最近、ふと子供の頃に通っていた習字教室のことを思い出します。

僕の家から車で5分くらいの場所に、自宅の一室を使って習字教室を開いている先生がいて、

週に一回、学校帰りに寄って習字を教わっていました。

通い始めたきっかけはいまでも鮮明に覚えていて、保育園の年長組のときに仲の良かった友だちに誘われたから。

めちゃくちゃシンプルな動機です。

僕が通った習字教室は、先生が個別にお手本を書いてくれて、それを左側に置き、それを見ながらできるだけ忠実にその通りに字を写すというものでした。

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お手本ばかり見ていると、毛筆に含んだ墨汁が半紙にどんどん滲んでいってしまうし、かといってお手本を記憶して筆の勢いにまかせて書くとなかなかお手本のようにうまく書けない。

途中までうまく書けても、「払い」に失敗して台無しになってしまう。

最後の最後、自分の名前で大失敗をする。

など、今思えば子供にとっては結構根気がいる作業なんです。

友だちとの私語は厳しく注意されたし、字を書いているときはずっと正座。

(躾の一環として通わせていた親御さんも結構いたんだと思います。)

でも、僕は割とその作業が気に入っていて、だんだんと「お手本」に近づいていくことに快感を覚えていていました。

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書からデザインを考える

最近、ロゴを組んだり字組をする仕事も増えてきました。

当時とは違って、Macの左側には「お手本」が見えていないのが大変なところでもあるのですが、

仕事を依頼してくれた人から話を聞いて、ゴールとなるデザインへと調整していくこの作業には、当時の感覚と同じようなものを感じます。

習字の場合、お手本と自分の書いた作品を見比べると、どうもしっくりきていない部分が浮かび上がってきますが、

それは、文字の大きさや文字の太さ、縦線と横線のバランス、確度などが違うから。

レイアウトのデザインなどをやっていると、ほぼこれと同じ物の見方をしているんですよね。

今から思えば、習字教室は文字のデザイン力を鍛えることができる場でもあったと思います。

あと、当時の先生が教えてくれたこともいくつか記憶に残っていて、今でも仕事に役立つこともあります。

例えば一番印象に残っているのが、

途中で少しでも「お手本」と違うと、書き終える前にすぐにくしゃくしゃにして捨ててしまっていた私への、

『最後の最後、自分の名前まで書いてみないと良いか悪いかなんて分からない。最後まで書きなさい』

という言葉。

当時、『これはだめだ、ミスってしまった』と感じたら、最後まで書き終えず、端から捨てていたのですが(そもそも半紙がもったいない)、そう言われてからは我慢して最後の名前まで書いてから良し悪しを判断することにしました。

すると、これはホント不思議なんですが、途中の段階で『ミス』だと思っていた作品が、最後の最後でどういうわけか盛り返して、良い作品になることが出てきたんです。

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最終的にはその日一番の一枚になるなんてことも。

何事も一度カタチにしてみないと良し悪しなんて誰にもわからない訳で、デザインの仕事でもまさに同じことが言えるなぁ。なんて思います。

という訳で、今日はこのへんで。